私は、1歳半で仙尾部卵黄のう腫を発症しました。

告知は、発達段階に合わせて合計4回受けています。

1回目の告知は1歳半です。

入院してから「バイキンマン告知」を母から受けました。

体にバイキンマンがいるから、やっつけようね!という内容でした。

当時の気持ちは、忘れました。

2回目の告知は7歳です。

定期健診の帰りに寄り道した喫茶で、「病名告知」を母から受けました。

私の病名は仙尾部卵黄のう腫ということでした。

本当にこの一言だけで、体調も年に数回通院しているだけだったので、「そうなんだ」としか思いませんでした。

3回目の告知は13歳です。

家の洗面所で髪をとかしながら「がん告知」を母から受けました。

私は、がんの一種の病気ということでした。

また、この一言だけでした。

年一回の定期健診だけでしたし、思春期だったので「なんで今まで黙っていたの?ムカつく。」と思いました。

4回目の告知は19歳です。

定期健診の際に主治医から「医学的な告知」を受けました。

医療系の大学に入学したので、専門用語も交えながら1から告知を受けたく、自らお願いしました。

自分のことを知れて、自分を守る武器が増えた気がして安心しました。

自分で自分のことを知れて、良かったなと思っています。

少しずつ告知を受けられた私は、恵まれています。

告知は、自分で自分のことを守るためにも、必要なことだと感じています。